◆キャラクター紹介◆
アルス(勇者♂)…16歳の勇者。ちょっぴりわがままだが、時に負けず嫌い。年上の仲間たちに気を遣いながらも、勇者としての責任をしっかり果たすべく奮闘中。歳が近いため、チャイと仲が良い。チャイが唯一タメぐちで接する相手。
グロリア(戦士♀)…30代半ばの戦士。サバサバしていてぬけめがない。パーティ最年長のため、なにかと頼られることも多いが、本人はそれがうれしい様子。酒がそこそこ強いので、ルイーダ時代からシューイとは飲み友達だった。
シューイ(まもの使い♂)…30代前半のまもの使い。ひょうきんなロマンチスト。パーティのムードメーカーだがスケベ野郎。よくぱふぱふ屋に行くため、チャイとグロリアに睨まれている。だが実際は気遣いの鬼ともいえる性格で、ひょうきんな部分は仮面に近い。あまり自分の出自を話したがらない。
チャイ(僧侶♀)…20代前半の僧侶。清楚でふつうの性格。特にこれといった特徴がなく、普通であることを密かに悩んでいる。その中で唯一得意なのが、回復をはじめとした呪文。自分の中で考え込んでしまう癖があり、そんなとき仲間たちはそっとしておいてくれる。
眼前に迫ってくる牙。呪文の詠唱に集中していた僧侶は、反応が一瞬遅れた。
「チャイっ!」
動くことすらできない彼女の前に、燃えるような紅の髪が踊った。チャイの喉笛を引き裂くはずだった牙が、女戦士の右腕に潜り込む。鋭い痛みに顔を歪めたグロリアだが、刃のような双眸でデスジャッカルを睨め付けた。
「いっ……たいわねぇ!」
グロリアの右膝が、狼の脇腹を思い切り蹴り上げる。露出した肋骨は脆くなっていたのだろう、みしりと音を立てて罅が入った。その衝撃で牙から解放され、女戦士はお返しとばかりに剣を振るう。鋼の刀身が腐った肉を易々と切り裂き、デスジャッカルは動かなくなった。
「すみませ……」
「ちょっと姐さん、大丈夫?」
チャイが慌てて回復呪文を唱えるよりも早く、まもの使いが毛繕いを施す。痛々しい噛み傷が、跡形もなく消え去った。グロリアは軽く礼を言うと、前方で戦う勇者のもとへ駆けていく。
その隙を突くように、魔物の群れが一斉に飛びかかってくる。その猛攻は最前に踏み込んでいたアルスだけではなく、後方にいたシューイやチャイにまで及んだ。
アントベアの長い舌が、鞭のように乙女を打ち据える。チャイは思わず尻餅をつくが、彼女の耳はアルスの悲鳴を捉えた。自らも手負いであるものの、それよりも少年の回復を優先させなければならない。ベホイミを唱えるべきだろうと判断する。
しかし、詠唱を紡ぐ桃色の唇が、食蟻獣の滑りを帯びた舌で舐め回された。それはそのままチャイの顔面を這っていく。頬、鼻、そして前髪ごと額へ。前髪が捲れ上がり、隠れていた太い眉が露わになる。
ぬるりとした舌の感触と、唇を暴かれたことによる酷い嫌悪感で、乙女の全身が粟立つ。えずきそうになるのを堪え、橙色の袖で乱暴に顔を拭った。吐き気を催したことによるものか、生理的な涙で視界が滲む。
そのとき、戦場には不釣り合いなほど穏やかな、それでいて張りのある歌声が響いた。その旋律はチャイだけではなく、アルスやグロリア、さらには歌声の主であるシューイをも癒していく。
ようやく動けるようになったチャイは、左手の短剣をアントベアに叩き込んだ。油断していたところで懐に突っ込まれ、食蟻獣は抵抗すら叶わず息絶える。
続いて、僧侶の掌から生まれた真空の刃が、アルスを襲うハンターフライたちを切り裂いていく。羽の一枚すらも粉々に切り刻み、紫蜂の群れを跡形もなく吹き飛ばした。
チャイのバギが止めとなり、魔物たちは残らず葬られていった。ようやく訪れた静けさに、チャイはひとつ息を吐く。
「助かったよ、ありがとう」
鋼の剣を鞘に収めながら、アルスも安堵の表情を見せた。その後ろから、水筒と手拭いを手にしたシューイがやや早足で近づいてくる。
「顔と口、濯いでおいで。気持ち悪かったでしょ」
どうやら、先ほどの醜態を見られてしまっていたらしい。それに恥ずかしさを覚えつつ、チャイは首を横に振る。
「いえ、大丈夫です。水も残り少ないですし」
「このあたりは道が整えられてるから、バハラタは近いはずだよ。この調子だとあと一時間くらい、昼前には着けると思う」
だから安心して、と続ける大男の言葉に、乙女は大人しく甘えることにした。皆に背を向けて水筒を開けると、左手に水を受け止め口に含む。口を軽く濯いでから吐き出し、二杯目は前髪から顔全体へ。柔らかな手拭いで水分を拭き取ると、不快感も顔の汚れとともにあらかた消え去った。だが。
心を覆う仄暗い靄が、どうしても消えてくれない。シューイが渡してくれた水筒も手拭いも、彼のまっすぐな優しさに他ならないのに。それを素直に受け取れず、どこか複雑な思いを抱える自分がいる。
先の戦闘で、チャイは一度も回復呪文を使わなかった。否、詠唱のたびに魔物の邪魔が入って使えなかった。ノルドの洞窟を抜けて一週間。手持ちの薬草も残り少ない今、全滅してもおかしくはなかったはずである。
そんな一行を救ったのが、まもの使いの職を得ているシューイだった。彼は魔物を手懐け使役するのみならず、毛繕いや安らぎの歌といった癒しの特技を身につけている。傷を癒すことについては現状、チャイよりも彼の方が得意であると言えるだろう。
そのことが、何よりも乙女を悩ませていた。
(私、皆さんの足手纏いになってるんじゃないかな)
アルスは率先して敵陣に突っ込んでいく勇気と、雷を始めとした強力な呪文を操る賢さを併せ持つ。グロリアの強靭な肉体は敵を打ち倒す刃となり、またあるときは、魔の手から仲間を守る堅牢な盾となる。シューイは鞭や飛去来器を用いた広範囲の攻撃に長けているほか、攻守ともに優れた特技を軽々と使いこなす。
だが、自分は。アルスやグロリアのように前衛として戦えるほどの力もなければ、シューイのように器用な戦い方ができるわけでもない。毒や痺れを消し去る呪文こそ習得しているものの、それらは道具でも代替が利く。
外見にも内面にもこれといった特徴がなく、どこまでも普通で地味な存在。チャイは自分のことをそう評している。それでも回復呪文は、皆を癒す技術に於いては、チャイの右に出る者はいないはずだった。その役割が別の仲間に回っている以上、乙女は自らの存在意義を見つけられずにいる。
「……チャイ? どうしたんだよ、どこか怪我したのか?」
心配そうな顔で声をかけてくるアルスも。
「さっきの戦い、結構きつかったものね。少し休んでから出発しましょうか」
汚れた剣を拭きながら言うグロリアも。
「おっ、チャイちゃんの可愛い顔がも〜っと可愛くなったねぇ」
軽い調子で鼻の下を伸ばすシューイも。
こちらに向けてくれるその好意は、偽りなのではないか。本当はチャイのことを、厄介者だと蔑んでいるのではないか。
信頼しているはずの仲間に向ける、疑いの視線。醜いそれを否定できる毅さが、今のチャイには持てなかった。
「人攫いねぇ……。目的は何なのかしら」
「十中八九、身代金だろうね。アジトがバレてるってことは堂々と掻っ攫っていったか、悪事の常習犯なんだろうし」
バハラタにある宿屋の一室。街の露店で買い求めた木の実を肴に、グロリアとシューイは杯を傾けていた。
彼らと同じ食卓についているアルスとチャイは、茶を啜りながらグロリアたちの話を聞いている。成人したばかりのアルスと、教会で厳しい修行をしていたチャイ。これまで飲む機会がほとんどなかったふたりは、酒が得意ではないのだ。
「……とりあえず、次の目的地は人攫いのアジトってことでいい?」
「そうだねぇ。黒胡椒屋のおじいさんにももうちょっと詳しく話を聞きたいし、今日はここで情報収集かな」
まずはオレたちの身体を休めないとどうにもならないしね、と穏やかな声色で答えるシューイに、アルスは大人しく頷いた。
一行の長であるはずのアルスだが、こういうときはシューイやグロリアの判断に従うべきであると、旅を始めてからの半年でわかってきたらしい。実際、アルスはわりと無鉄砲な旅程を組んでしまう傾向にあった。
彼らが黒胡椒を求めてこの街に辿り着いたのは、二刻ほど前のこと。まもの使いの予想通り、正午を待たずして到着することができた。
店が立ち並ぶ区域に足を踏み入れてすぐ、切羽詰まったような大声が聞こえてきた。思わず足を止めたアルスたちが顔を向けると、そこには武装した若者と、困り果てた顔をした老爺の姿。先程の声は、この若者が発したものであるらしかった。
彼が着込んでいる真新しい革の鎧は、よく見るとあちこちの緒が緩んでいた。腰に刷いた武器は、檜を棒状に切り出しただけの簡素なもの。剣豪は武器を選ばないというのはよく聞く話だが、頼りなげな青年にそれだけの能力があるようには見えない。普段から戦いに身を置いているわけではなく、武具の扱いに関しても素人なのだろう。遠巻きに彼らの姿を見つめながら、アルスはそう予想した。
若者と老爺のふたりは何やら言い合っていたようだが、やがて若者は老爺の制止を振り切り、街の外へと駆けて行く。待ちなさいグプタ、という老爺の声が響き渡るも、それは全く意味を成さなかった。
項垂れる老爺に、アルスは恐る恐る声をかける。聞くと、彼はこの街で黒胡椒屋を営んでいるのだという。つまりは彼こそが、アルスたち一行の求めている人物であった。
彼の孫娘であるタニアが人攫いに拐かされてしまったこと。タニアの恋人であるグプタが後を追い、人攫いの住処に向かったこと。その騒ぎで黒胡椒屋は営業どころではないこと。現時点で分かっているのは、それだけだった。すっかり意気消沈した様子の老爺に、それ以上の聴取が憚られたためである。
とりあえず宿をとって湯浴みをしよう、そう提案したのはグロリアだ。彼らは一週間ほど野営続きであった上、魔物との交戦を幾度も経て、その身体は汗と埃に塗れている。これ以上の情報収集をするにしても、まずは身嗜みを整えなければ、誰が相手であれ取り合ってもらえない。
かくして身綺麗になった一行は、湯上がりの身体が冷めるまでの間、今後の行動について話し合っていたのである。
「私は黒胡椒屋のおじいさんのところに行ってくるわ。話すのが難しそうだったら、近くの人に話を聞いてみる」
「それじゃあ、オレはいつも通り酒場かな」
明日の出発は辰の刻だから夜更かししないように、という女戦士の指示に、アルスもシューイも頷いた。
「俺とチャイは、買い出しがてら街の人に話を聞いてみようか」
少年は対面に座る乙女へと声をかけるが、返事はない。燐灰石の色をした瞳が、虚げに彼女の手元を彷徨っていた。
「チャイ?」
「え、あっ、ごめんなさい」
華奢な肩を震わせ、チャイは慌ててアルスの方を向いた。彼が改めて説明すると、チャイは今度こそ理解した様子を見せる。
乙女は、視線を斜め前のまもの使いに向けた。彼女の胸を騒つかせるのは、殊更にシューイの存在によるものが大きい。
人攫いの住処に向かうとなれば、奴らとの交戦は避けられないだろう。強力な癒しの特技を持つシューイがいる今、非力な自分は何の役にも立てないのではないか。不安と焦りで侵食されたチャイの心は、同時に苛立ちすら覚え始めていた。
(シューイさんがいれば、私なんかいらない)
決して、彼のことを嫌っているわけではない。大きな背中で仲間たちを護り、澱みなく笑いかけてくれるシューイのことを、チャイは心の底から尊敬している。そのはずだった。
だが今は、彼の全てがチャイの神経をどうしようもなく毛羽立たせる。こんな感情を抱いてしまう自分への怒りもまた、彼女の焦燥感を増幅させていく。
「ここまで長かったし、疲れちゃったよね。まずはみんなでご飯かな〜」
シューイの言葉に、グロリアもアルスも肯定を返して立ち上がった。心ここに在らずといった様子のチャイを見て、気を遣ってくれたのだろう。
礼を言わなければならない。それなのに、胸の奥に渦巻くどす黒い炎が、喉まで出かかっている言葉を悉く焼き尽くしていく。
代わりに生まれるのは、疑心による言葉。迷惑をかけてばかりの自分なんて、戦闘でも役に立たない自分なんて、皆には必要ないのだろう。思わず口をついて出てしまいそうな言葉を、チャイは必死に飲み込み続ける。
本当はわかっている。シューイたちがそんなことを思うはずがないと、彼らもまたチャイを信頼してくれているのだと。わかっているのに、湧き上がってくる激情を抑えることができない。だからこそ。
「ねぇねぇチャイちゃん。さっき、ちらっと食堂を覗いてきたんだけどさ。ここ、チャイちゃんと同じ名前のお茶があるんだって! あとで一緒に飲もうよ〜」
軽やかな声色が、彼から向けられる純粋な好意が。
シューイの真っ直ぐな眼差しが、チャイを激昂させた。
「シューイさんには私の気持ちなんてわからないですよ!」
金切り声と、椅子が倒れる音。瞬間、空気が凍りつく。部屋を出ようと歩き出していたアルスもグロリアも、愕然とした表情で振り返った。
自らの発した声にチャイが驚くよりも早く、困ったように下がっていく大男の眉尻。
「……ごめん」
こちらを見ていた蜂蜜色が、逸らされた。低く呟くような声も、固く結ばれた唇も、本来は知るはずのなかったもの。知りたくなかったもの。
「あ……」
傷つけてしまった。優しく手を差し伸べてくれたシューイのことを、拒絶してしまった。
「ごめん、なさ……ちがうんです、そんなつもりじゃ」
迫り上がってくる涙に邪魔され、最後はほとんど言葉にならなかった。チャイは自らの罪から目を逸らすように、部屋の外へ向かって駆け出していく。あまりにも突然のことで、アルスとグロリアが手を伸ばしたときにはもう遅い。
「チャイちゃん!」
慌てて後を追うシューイを、グロリアが呼び止めた。
「あんたはここにいたほうがいい。チャイのことは私たちに任せて」
「……わかった」
頷いた女戦士は、少年から武器を受け取る。街の中とはいえ、人攫いが現れたのはつい最近のことだ。着の身着のまま飛び出していったチャイに、万が一のことが起こらないとも限らない。
アルスとグロリアは、それじゃあ行ってくる、という言葉とともに急いで部屋を出ていく。ひとり残されたシューイは、乙女が倒していった椅子を元に戻し、そこに腰掛けた。
チャイの歪んだ顔と叫び声が、脳裏に灼きついて離れない。頬杖をついた大男は、大きな溜め息を吐いた。
涙で濡れた視界の中、チャイは当てもなく走り続ける。脚が縺れ転びそうになっても、止まることはできなかった。
街を行く人々が、何事かと乙女を見やる。その視線が自分を責めているように見え、チャイは無意識に人気のない方へと進んでいった。
しかし、やがて体力が限界を迎える。もともと長旅で疲労が溜まっていた上、全力で走り続けたのだから無理もない。
よろよろとした足取りで辿り着いたのは、周囲よりも一際大きな平屋。石造りの門に掲げられた三叉槍の彫刻は、チャイの貫頭衣に描かれたものと同じだ。ここは、どうやら教会であるらしかった。
建物の陰に隠れるように、チャイは冷たい壁に背を預ける。か細い嗚咽とともに荒く紡がれる呼吸音は、どこか悲鳴にも似ていた。
身体が、心が、音もなく号哭する。ずるずると膝を屈し、指先が白くなるほど強く、自らの肩を掻き抱く。そうでもしなければ飲み込まれてしまいそうだった。濁流のように押し寄せる、醜い感情の嵐に。
シューイへの嫉妬と羨望。回復の要としての役割を失いつつあることへの焦り。皆に迷惑をかけてしまったという罪悪感。そんな自分に対する激しい怒り。綯い交ぜになったそれらが、大粒の涙として止めどなく溢れ出す。
(ごめんなさい、ごめんなさい)
心臓よりもさらに奥、どれだけ身体を暴いても見つけ出せないその場所が、抉られるように強く痛んだ。チャイは思わず服の胸元を鷲掴みにするが、直接触れられないそこには手が届かない。
(シューイさんも、皆さんも、何も悪くないのに)
青年はチャイに対し、軽い調子の言葉を優しく投げかけた。それは、仲間内の雰囲気を明るく保つために他ならない。チャイだけではなく、アルスやグロリアのことも満遍なく見ているからこその言動だったはずなのに。
乙女はシューイが大切にしていたものを引き裂き、その罪から目を背けた。
仲間たちへ疑いの目を向けたのも、全ては自己保身のため。皆が除け者にするからと被害者の顔をしていれば、自らを省みることから逃げられる。気づいてしまえば何のことはない、彼らに対する疑心の正体は、そんな戯けた理由から生まれたものだった。
研鑽も仲間たちへの相談も、できるはずだったことを何もせずに、彼らを悪者に仕立て上げて癇癪を起こす。これが身勝手以外の何だというのか。
(もう、皆さんのところには戻れない)
役に立たないばかりか、問題を起こして皆に不快な思いをさせてしまった。こんな状態では一行からの追放を言い渡されたとしても、抗議ひとつ許されないだろう。
今さら遅すぎるのだ、何もかも。
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