夜も更け、そろそろ日付も変わるという時刻。
窓から差し込む月明かりが、寝台に寝転がる少年を鋭く捉える。
仄かに照らされた顔は、不安そうに歪んでいた。
「……」
少年__天野ケータは、ここ最近ずっと考えていることがあった。
(死ぬ……って、どういうことなんだろう)
__死。
生けるものすべてに、等しく与えられる、『死』というもの。
人は死んだらどうなるのか……ケータは、ある時ふと、そんな考えに捉われた。
それ以来、夜になると、ケータの胸の中はそのことでいっぱいになる。
数時間もの間を、悶々と考えながら過ごすことになってしまうのだ。
(もし、死んでしまったら……)
天国に行って、そこで楽しく暮らすのか。
空の上を浮遊する存在になるのか。
それとも、意識が闇に飲み込まれて、何も考えられなくなってしまうのか。
ケータがもう少し幼かったら、「死んだら天国に行って、天使さんと楽しく暮らすんだ」などと考えていただろう。
しかしケータは、もう小学五年生だ。
あの頃とは違い、悲観的な考え方だって、できるようになってしまった。
(心臓が止まって、眠るように意識がなくなっていって……それから)
感覚も何もない世界。
そこにあるのは、ただ闇のみ。
(そんな日が……いつかはオレにも)
__来てしまうんだ。
そこまで考えて、ケータは目をぎゅっと瞑った。
(嫌だ、嫌だ、嫌だ……怖い、怖い、怖い怖いこわい!)
激しく音を立てる心臓が、ケータの不安をいっそう駆り立てる。
身体が、カタカタと震え出す。
(怖いよ……誰か助けて、助け……)
「どうしたんです、ケータ君」
突然、頭上から聞こえてきた、囁くような声。
はっ、として固く閉じていた目を開けると、目の前に白い影が踊っていた。
「ウィスパー……」
「ケータ君、あなた今震えてましたよ。怖い夢でも見てしまったんですか?」
寝台の隣で寝息を立てるジバニャンを起こさないように、妖怪執事のウィスパーは、小声でケータに問いかけた。
ただそれだけのことなのに、目の前のウィスパーがとても頼もしく見えてしまって。
ケータは、目の前の柔らかい身体を、そっと抱き寄せた。
「わわっ、ちょっとあーた、いきなり何するんですか」
突然のことに驚くウィスパーであったが、いつもとは違って弱々しくすがり付いてくるケータに、表情を改めた。
「……何かあったんですね。ワタクシでよろしければ、お聞きしますよ」
ケータは、すべてをウィスパーに話した。
自分が捉われていた恐怖のこと。
毎晩、それが原因で眠れなかったこと。
「ごめんねウィスパー……。突然こんな風になるなんて、オレ……おかしいよね。ひょっとして、妖怪のせいなのかな」
ケータがそう言うとウィスパーは、いまだに小さく震えている彼の手を、そっと握った。
「……ケータ君。なにもおかしいことなんてありゃしませんよ。これくらいの年頃ならば、むしろ普通です。もちろん、妖怪のせいでもございませんよ」
「そう……なのかな」
「うぃす」
いつもならば、ウィスパーが「それくらいで妖怪のせいにされては困りますねぇ」などと言っても、ケータはそれを無視して妖怪ウォッチを取り出すものである。
それをしないあたり、今のケータには余裕がないのだろう。
__こういうときは、アレを飲ませてあげるしかなさそうですねぇ。
「ケータ君、少しだけ、このまま待てますか」
「え」
「大丈夫、すぐに戻ってきます」
ウィスパーはそう言ってケータの手を離すと、そっとドアを開け、部屋を出て行ってしまった。
暗い部屋の中で、ひとり残されたケータは、不安そうに膝を抱えていたが、3分ほど経つとウィスパーが戻ってきた。
その白い手には、ケータが愛用しているマグカップ。
「これをどうぞ。落ち着きますよ」
「あ、ありがと」
それを満たしていたのは、温められたミルクだった。
一口、口に含むと、独特の優しい味が広がる。
「甘い……」
「少し、お砂糖を拝借いたしました。安眠効果が増すんですよ」
温かいミルクを飲んでいると、たしかに、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。
それを見計らい、ウィスパーは問いかける。
「ケータ君。あなたは、やりたいことはありますか」
「……やりたい、こと?」
「なんでもいいんです。何か、やりたいことはありますか」
ケータは、しばし考え込む。
「……うん。クマやカンチと、いっぱい遊びたい。新しく買ったゲームも、クリアしたい。それから……」
話していくにつれ、どんどん声色が明るくなるケータにウィスパーは、うんうん、と相槌を打った。
そして、ケータがひとしきり話し終わると、ウィスパーはにっこりと微笑みながら言った。
「今ケータ君が言ったことだけではなく、大人になっていく中で、まだまだたくさん、やりたいことは見つかるはずです。それらを全部やり尽くしたら、死ぬのなんて、まったく怖くありませんよ」
ウィスパーは自らの手を、ケータの頭に乗せ、そのまま優しく撫で回した。
「それに、あなたには、時間がたっぷり残されているのです。ずーっと先のことは、そのときに考えましょう」
そしてウィスパーは、身体と同じくらい真っ白な歯を見せて、にっ、と笑った。
「……うん。ありがとう、ウィスパー」
いつの間にか、胸の中に渦巻いていた恐怖は、すっかり消え去っていた。
「うぃす。さぁ、明日も学校ですから、もう寝ましょうか」
「そうだね、おやすみ」
ケータは残りのミルクを飲むと、毛布にくるまった。
「ウィスパー、起こしちゃってごめんね」
「お気になさらず。主人のためなら、なんだっていたしますよ」
ん、ありがと、と短い返事を返して目を閉じると、先ほどのミルクのおかげもあるのか、すぐに眠気が訪ねてきた。
眠りに落ちる前に聞こえたのは、ウィスパー特有の、ふわふわ、という浮遊音。
(ウィスパー……オレが寝るまで、見守っていてくれるんだ)
そのことを嬉しく思いながら、ケータは夢の中へと落ちていった。
翌朝。
学校へと向かう道すがら、ケータは突然、こんなことを言った。
「ねえウィスパー。今度の休日、ジバニャンも連れて、一緒にどこかへ行こう」
「……どうしたんです、急に」
「今、自分がやりたいって思ってること。それを、できるだけ早めにやっておきたいんだ。やり残すことがないように、さ」
そう言って、ケータは、少し照れたようにはにかんだ。
「うぃす。それでいいのですよ、ケータ君」
__しっかりお供しますよ、これからもずっと。
いつか、ずっとずっと、ずーっと先の、その日が来たら……
「もう、怖くないでしょう?」って言ってあげられるように。
Pixivからの移転作品。初出は2014年12月1日でした。
当時書いた後書きをここにも掲載します。
↓
ここまでご覧いただき、ありがとうございました。
普段はあとがきなんて書かないのですが、今回は特別な作品ですので、
解説を兼ねて。
この、「死ぬってどういうことなのだろう」という疑問は、
実際に私自身が、ケータ君と同じくらいの歳の頃、よく考えていたことです。
死んだあとは、どうなるのか。
なにも考えられなくなってしまうのか。
生まれ変わることはできるのか。
この世界は、いつまで続いていくのか。
ベッドに入ると、その疑問が頭の中をぐるぐる巡り、
なかなか眠れないこともよくありました。
ですから、あの頃より大人になった今、
このような形で、あの頃抱いていた恐怖に対して、
自分なりの答えを示すことにしたのです。
この作品を読んでくださった皆様の中にも、ひょっとしたら、
このような恐怖にとらわれている人がいらっしゃるかもしれません。
そんな時、私が書いたこのお話のことを、少しでも思い出していただけたら、と思います。
それでは、長文・乱文失礼いたしました。
繰り返しになりますが、ここまでご覧いただき、本当にありがとうございました!
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