ナインという男は、どうにも苦手だ。
レムは、そう思っていた。
マキナとレムが0組に配属されてから数週間。
新しい組で、新しいクラスメイトと、学業や鍛錬に励む。そんな生活にも、少しずつ慣れ始めていた。
「ナインさんですか?」
「……うん」
ある日の昼休み。
レムは、デュースとともに裏庭で昼食をとりながら、相談に乗ってもらっていた。
「0組に来たばかりのころね、ナインが遅くまで教室に残ってたから、思い切って話しかけてみたんだけど……」
彼から返ってきたのは、「あぁ? んだよ」という、極めて不機嫌そうな言葉だったのだ。
「訓練のときも、怪我をしてたからケアルをかけてあげたんだけど、『これくらいなんともねぇよ、コラァ』って睨まれちゃって……」
それ以来、なんとなく彼に苦手意識を抱いてしまった。
リフレで持ち帰り用に包んでもらったサンドイッチをかじり、デュースは考え込んだ。
(ナインさんがああなのは昔からだったから、とくに意識したりはしなかったなぁ……)
何年も一緒にいるデュースたちは気にしないが、レムは彼と接するようになってまだ数週間なのである。
苦手意識をもってしまうのも当然だろう。
「うーんと……ナインさんは、なんというか……怒ってるように見えても、実は何も考えていないというか……とにかく、レムさんのことが嫌いとか、そういうわけではないと思います。これから先、一緒に作戦に出ることもあると思いますし、徐々に仲良くなっていけば良いのではないでしょうか」
もともと温和で、仲間どうしの争いを好まないデュースのことだ。
レムとナインを打ち解けさせようと、アドバイスを試みた。
「そう、かなぁ……」
ジュースを飲みながら、不安そうにレムは呟く。
「大丈夫ですよ! ナインさんは、とっても優しいんです。きっと、レムさんも仲良くなれます」
「うん、ありがとう」
両胸の前で拳を作り、力強く握るデュース。彼女が、自分のために一生懸命考えてくれたことが、レムには嬉しかった。
「さ、もうすぐ講義が始まりますよ。戻りましょう」
デュースは、レムが持っていた紙コップと、自分が持っていたサンドイッチの包み紙を、まとめて紙袋に入れた。
「……あ、ゴミ持たせちゃってごめんね」
「いいえ、気にしないでください。私が捨ててきますから」
デュースは優しいね、とレムが言うと、デュースは蛍石の瞳を細めてはにかんだ。
(どうして、こうなっちゃったんだろう)
ナインとともに、魔導院の正面ゲートをくぐりながら、レムは思った。
本日の講義がすべて終わった後、クラサメ隊長から依頼を受けた。正確には、他組のモーグリから受けた依頼を、隊長から知らされたのだが。
それは、コルシ周辺に出るモンスターの羽や体液を、研究資料として使うため採集してきてほしいというものだった。
あいにく、ほかの0組メンバーたちは、別の任務や依頼に参加することになっていた。そこで、任務に参加する予定のなかったレムとナインが、この依頼を担当することになったのだ。
その報せを聞いたデュースの、期待と不安をない交ぜにしたような表情が、レムには忘れられ
「っしゃ! ぶっ倒してやるぜ、コラァ」
指や首の関節をバキボキと鳴らしながら、ナインはレムの横を歩く。
いっぽうでレムは、なんとなくやりづらい気持ちを抱えたままだ。
(うーん……でもこれって、仲良くなるチャンスなのかも)
そう考えれば、少し希望も湧いてくる。
とりあえず、彼と世間話ができるくらいの仲になることを目標に掲げ、レムは依頼へと赴いた。
ふたりという人数によるペナルティを物ともせず、レムとナインはあっという間に依頼をこなした。
戦いにおける連携は、特に問題なさそうだった。
ナインはもともと、0組の皆と戦いの鍛錬を積んでいたし、レムも他の組にいたころから、たくさんの候補生と作戦に参加していた。そのため、連携はお手の物なのだ。
問題は、戦闘以外の時間である。
「………」
「………」
移動する間も、これといった会話はなく、次のモンスターに出くわすまで沈黙が続く。
次はあっちに行こうとか、今いくつ集まっただとか、依頼に関する話はできるのだが。
なにか話すきっかけがあれば、と思うが、悲しくもそれが見つからないのだ。
先ほどのモンスターを斃した際、必要とされていた数のアイテムはすべて採取し終わった。あとは、魔導院に戻るだけだ。
深い森を抜けるべく、ふたりは歩き出した。
結局、ナインとはうまく話せるようにはならなかった。
(まぁ、もう少しの辛抱かな)
そう思った瞬間。
レムの喉から胸元にかけて、覚えのある違和感が襲う。
(やだっ……!)
抵抗できるはずもなく、歩みを止めて激しく咳き込んでしまう。
いつもより症状が酷い。
どうして、こんなときに。
「お……おい、どうしたんだよ」
膝から崩れ落ちたレムに、慌ててナインが駆け寄る。
咳は、止まらない。
「ポ、ポーション、飲んどくか?」
がさごそと上着のポケットを探り、ナインはポーションを取り出した。
瓶の蓋をあけ、口元へと近づけてくる。
しかし、レムの症状はそれでは治らない。そのことをよく知っている彼女は、ポーションの無駄遣いになるからと断ろうとした。
だが、咳に遮られ、うまく伝えられない。
「ど、ど、どうすりゃいいんだよオイ」
困惑するナイン。こういうとき、マザーやみんなはどうしていただろうか。
じわじわと侵食してくる焦りに、ナインの心臓が大きく早鐘を打つ。
とりあえず、自分の着ている上着とマントを脱ぎ、レムの肩にかけてやる。
それから、ええと。
「だ、大丈夫かよ」
そうだ。たしか、背中をさすってやっていた。
震える手で、レムの背中に手を置く。びっくりするほど細く、頼りない背中だ。
そして、ぎこちない手つきで、さすり始めた。力加減がよくわからない。
レムの呼吸は苦しそうだ。
咳き込み、ヒュッと喉を鳴らして息を吸い込む。それを何度も繰り返す。
口もとを抑えていた両の手、そのうちのひとつを、レムは無意識のうちに伸ばす。
青白く華奢な手は、すぐ近くで彷徨っていた、ナインの片手を捉えた。
「んだよ、おっ、おい、」
唐突に握られたレムの手に驚きながらも、ナインはそれを振り払ったりはしなかった。
この細い体のどこにそんな力が、というほど強く、ナインの手をぎゅううと握りしめてくる。その手は、じっとりと汗ばんで震えていた。
しばらくそうしていると、レムの咳がだんだんと落ち着いてくる。
しかし、はー、はー、と未だ浅い呼吸を繰り返す。この状態はと、ナインにピンとくるものがあった。
「息、ゆっくり吸え」
彼の言葉に従い、レムはゆっくり、ゆっくりと息を吸う。途中で喉がひっかかり、ヒクッ、と何度か呼吸が止まったけれど。
「んで、ゆっくり吐け」
はー、と息を吐く。欠乏していた酸素が体内に取り込まれ、何も考えられなかった頭も、浅い呼吸も、少しずつ治ってきた。
「もっかい。いけるか?」
レムはもう一度、深呼吸を繰り返す。
ナインの手を握っていたレムのそれは、もう震えが止まっていた。
呼吸が落ち着いたレムが顔を上げると、長い睫毛には涙の粒が無数についていた。無意識のうちに、涙が滲んでしまったのだろう。
「……レム」
ごめんね、ありがとう、と言おうとしたレムが、口を開けたまま固まる。
名前を。
呼んでくれた。
はじめて。
あまりの衝撃に、言葉が出てこない。
「あぁ? おいって」
「はっ、はい!」
思わず、敬語になってしまった。
「もう平気なのかよオイ」
「う、うん……ごめんね」
そこで初めて、ナインの手を握ったままだったことに気づく。
「えっ? あっ、ご、ごめん!」
ナインは、何も言わない。
手をパッと離したはずみで、レムの肩にかかっていたナインの上着とマントが落ちた。
わぁ、と声を上げ、レムは慌てて、上着とマントの土を払う。そして、それをナインに返すべく差し出した。
「これも、ごめんね」
「おめぇ謝ってばっかだなコラ」
怒らせてしまっただろうか。
ナインはくるりと、レムに背を向けた。
「着とけ。身体、冷えんだろーがよ」
彼の声は、相変わらず不機嫌そうだったけれど。
レムは、ナインへの気持ちが変化していくのを、はっきりと感じた。
自分を介抱してくれた。
上着を、マントを、かけてくれた。
握ってしまった手を、振り払わずにいてくれた。
不器用だったけれど、それは全部、彼の優しさ。
『ナインさんは、とっても優しいんです』
そう話してくれたデュースの声が、脳裏に蘇る。
「……帰んぞ」
「……うん」
ナインという男は、どうにも苦手だ。
レムは、そう思っていた。
つい、さっきまでは。
マキナに対して感じているような恋情とは違う。
友達と呼ぶには少し早い、けれど、胸の奥がむずがゆいような、そんな好意をレムは感じていた。
正面ゲートをくぐったところで、デュースに会った。
「お帰りなさい、ふたりとも」
彼女は、レムがナインの上着をかけていることに驚く。
体調を崩したらかけてくれたの、と説明すると、デュースは顔を綻ばせた。
そして、レムにこっそりと耳打ちする。
「仲良くなれたみたいで、よかったです。マキナさんも心配していたんですよ」
「マキナが?」
「レムさんが、ナインさんと話しづらそうにしていたこと。マキナさんも気づいていたみたいで、ふたりだけで大丈夫かなって言ってました」
(マキナ……気づいてたんだ。私のこと、見ててくれてるんだなぁ)
レムは少しだけ頬を染め、ふふっ、と笑った。
「じゃあ、マキナにも報告しなきゃね。もう心配いらないよって」
数日後、マキナとレム、そしてナインがともに食事をとっている様子を、デュースは見かけた。
マキナも、レムも、ナインも、楽しそうに笑っている。
思わず口角を持ち上げると、隣を歩いていたエースが、どうしたんだと聞いてくる。
「ふふ。なんでもないですよ」
14人での生活は、始まったばかり。
Pixivからの移転作品。初出は2018年2月8日でした。
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