「わあ……」
小さな手で留め具をぱちんと外し、大きな箱の蓋をあける。
目に飛び込んできたものは、たくさんの化粧道具。
10歳を超えたばかりの少女たちにとって初めて目にするもの。
まるで、宝石箱だった。
「これで、お化粧するんだね〜」
シンクが、惚れ惚れしたように声を上げた。
「怒られたり、しないでしょうか」
デュースが、蛍石の瞳を不安そうに曇らせる。
「大丈夫だって!マザーは会議に行ってるんだし、まだ戻ってこないって」
ケイトが、待ちきれないという表情で、化粧箱の中に手を突っこみ、がさごそと探る。
小麦色の手がつかんだのは、紫色のアイシャドウだった。
「シンクちゃん、それ知ってる〜。まぶたに塗るんでしょ?」
ケイトがアイシャドウの蓋をあけると、妖艶な紫の上を、シンクの指がするりと撫でた。
「こっち向いて〜。塗ってあげる〜」
目の前に迫ってくる指に、ケイトは反射的に目をつぶる。
なめらかな感触が数回、彼女の瞼を滑る。
「わあ……可愛いです……!」
花を揺らしたような歓声を上げ、デュースが手鏡を渡してくる。
そこに映った自分の姿に、ケイトは瞳を輝かせた。
黄色がかった部屋の灯りで、アイシャドウに含まれているラメはきらきらと反射する。
紫色に染まった瞼は、年頃の少女たちの心を昂ぶらせた。
「シンクちゃんも塗りた〜い!」
シンクが化粧箱から取り出したのは、青みがかった桃色のチーク。
おぼつかない手つきで蓋をあけ、柔らかな刷毛でそれをすくいとる。
みるみるうちに、シンクの頬は桜色に彩られた。
「きれーい!」
ケイトが、身を乗り出して叫んだ。
シンクの新雪のような白い頬に、その桃色はよく映える。
恋する乙女のように頬を染めたシンクは、鏡を眺めて愛らしく微笑んだ。
「デュースもさ、なにかつけてみなよ」
ケイトに促され、デュースも化粧箱を探る。
彼女が手にしたのは、濃紺の輝きを放つ小さなケース。
真ん中の線にそって蓋をあけると、艶をたたえた真紅が顔を出す。
ほんのり甘く香るそれを、くるくると繰り出した。
震える手でそっと、導かれるように。
デュースはそれを、唇へと近づける。
真紅の口づけを受けたデュースの唇に、一輪の薔薇がふわりと咲いた。
「かわいーーー!」
シンクが、半分悲鳴のような声をあげる。
デュースのあまりの美しさに、ケイトの両頬に林檎が実った。
一度火がついた乙女心は、簡単には鎮まらない。
三人の少女たちは、時間も忘れて、思い思いに化粧を楽しんだ。
……そう、時間を忘れて。
「何してるの」
乙女の秘め事は、その一言で終わりを迎える。
同時に肩を震わせた三人が、恐る恐る振り返る。
そこには、煙管を手にしたマザーが立っていた。
「ちっ、ちがうのマザー! これはね!」
瞼を紫色にしたケイトが、必死に言い訳をする。
デュースとシンクは、叱咤の恐怖が頭をよぎり、瞳いっぱいに涙をためた。
しかしマザーは、三人に目線を合わせると、柔らかく微笑む。
「怒らないから、言ってごらんなさい」
その言葉を耳にして、安心した少女たちは一斉に泣き出した。
しゃくりあげながら、自分たちがしていたことを、少しずつマザーに伝えていく。
マザーは、三人がすべて話し終えるまで、口を挟むことなく待っていてくれた。
そして、優しい声音で言葉を紡ぐ。
「あなたたちの年の頃は、誰しも皆、こういうことに憧れるものよ。けれど、勝手に忍び込んだのはいけないこと。これからは、ちゃんと私に伝えるようになさい。少しだけなら、貸してあげるわ」
瞼や頬、唇を鮮やかに染めた少女たちの頭をそっと撫でると、それと、と付け足す。
「あなたたちは、こんなにお化粧しなくてもじゅうぶん可愛いのよ。もう少し大きくなれば、きっとそれが分かるわ」
魔導院の制服を身に纏ったデュースは、自室を出る前に、鏡台を覗き込んだ。
そこに映る顔は、「少女」から「女性」へと移り変わろうとしている。
ふと、鏡の前に目をやると、可愛らしいケースに入ったリップクリームが置いてある。
先日、街へ出かけたときに、一目惚れをして求めたものだ。
それを唇へと滑らせると、ほんのりとわずかに色づいた。
彼女はそれを元の場所に戻すと、自室を後にする。
0組の教室へ向かう途中で、眠そうな顔をしたエースに会った。
「おはよう」
「おはようございます」
いつもと変わらない、決まった挨拶。
しかし、今日は少しだけ違った。
エースが、デュースから目線を逸らさないのだ。
ふたつの藍玉は、彼女のつややかな唇へと吸い込まれる。
それに気づかないふりをしながら、デュースはふわりと微笑む。
「どうしました?」
「あ、いや……」
エースは慌てて、彼女から視線を外す。
その頬が、デュースの唇と同じ色に染まっていたのは、きっと気のせいではないのだろう。
(マザーがあのとき、言っていたこと。その意味が、今なら分かる気がします)
少しだけ早くなる鼓動を感じながら、デュースの瞳は、宝石のように煌めいた。
Pixivからの移転作品。初出は2017年11月23日でした。
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