【ポップン】クッキーに、想いをのせて

限りなく澄んだ、青い空。
その中を、ひとつだけ白い雲が浮かんでいた。

否、雲ではない。
真っ白な翼を羽ばたかせて飛んでいる、少女である。

彼女の手には、可愛らしいリボンで口を縛った、小さな袋。
それを大事そうに抱える胸元で、金色の毛先が踊る。

__ママに教わって、頑張って作ったんだもん。きっと、喜んでくれるよね。

天使の少女ポエットは、その薄桃色の唇で、柔らかく笑んだ。

「何やってるんスか? ユーリ」

ユーリと呼ばれた男は、空の下にぽつんと佇む城、そこに設えられた広い庭に立って空を仰いでいる。

「……ああ、今日は空が綺麗なのでな」

蝙蝠の様な翼と、口元に光る牙さえなければ、吸血鬼であるとは分からないほどに、彼の顔は穏やかだった。

「誰かひとりくらい、あの大空を横切る者がいるのではないかと、眺めているんだ」

「あの子スか?」

狼男のアッシュは、からかう様な声をかける。

「想像にお任せしよう」

淡々とした物言いだったが、ユーリの唇は笑みを形作っていた。

__まったく……ポーカーフェイスだと思ってたけど、ユーリも案外、分かりやすいんだよなあ。

そんな城の主をしばらく眺めていると、ユーリが言ったとおり、大空を横切る者が現れる。

迷うことなく、まっすぐこちらに向かってくるその訪問者に茶をもてなすため、アッシュはその場を後にした。

__はやく、はやく。

着地まで、あと数センチ。

地面に足が着くのももどかしく、ポエットは足をばたつかせる。

もう、ユーリは目の前にいるのに。
もう少しで、触れられるのに。
そう思って手を伸ばすと、ユーリに手を引かれ、広い胸に抱きとめられた。

「そんなにジタバタしていたら、着地したときに転んでしまうぞ」

彼の匂いと体温を直に感じ、ポエットの頬は薔薇のように紅く染まる。

密着した自分の身体から、はやくなっていく自分の鼓動が、彼に伝わってしまっていないだろうか。

「……ポエット?」

「ふぇえっ⁉」

思わず口から飛び出した、素っ頓狂な声。

ポエットから身体を離したユーリは、彼女のそんな様子に苦笑する。

「どうしたんだ、惚けたような顔をして。お前らしくないな」

「あっ、えっ、えっと……」

急に抱きしめられて、ドキドキしていたなんて言えず。
なんと説明したものか悩んでいると、アッシュが紅茶とケーキを持って出てきた。

「いらっしゃい、ポエットちゃん。しばらく会わないうちに、なんだか大人っぽくなったっスねー」

いいタイミングで現れたアッシュにポエットは、助かった、と小さく息を吐く。

ユーリにエスコートされ、彼女は庭に置かれた椅子に腰掛ける。
テーブルを挟んで向かい側に、ユーリも腰掛けた。

「さ、このケーキも食べてほしいっス。オレの手作りなんスよ」

「わー、ありがとう! いただきまーす」

美味しそうにケーキを頬張るポエット。
彼女は前に会ったときと比べ、また少し成長したようだ。

フォークを握るその手は、決して大きくないとはいえど、大人のそれに近い。
先ほど彼女を抱きとめたときにも驚いたものだが、背丈も今では彼の胸のあたりまで伸びている。

__もう、子ども扱いはできないな。

ユーリ自身、分かっているのだ。
ポエットと触れ合ううち、彼女に対する自分の気持ちが、少しずつ変化していることに。

「ごちそうさまでした!」

元気いっぱいのポエットの声で、ユーリは我に返る。

皿を下げるアッシュに礼を言い、少女はユーリの耳元でそっと囁いた。

「ねえユーリ、渡したいものがあるの。ポエットと一緒に来て」

小声で言われたのは、おそらくアッシュやスマイルには秘密にしたかったからだろう。
何を渡すつもりなのかは分からないが、ふたりだけの秘密というのも悪くはない。

ポエットの誘いを快く引き受けると、ユーリは背中の羽を広げて少女の手をとり、大空へと羽ばたいた。

ユーリに手を引かれながら、ふたりは空を散歩する。

もう、子供じゃないのに。
そう思いながらもポエットは、つながれた手から伝わる体温に、顔を綻ばせる。

まだ彼女が、ユーリと出会って間もない頃から、空を散歩するときにはこうして手をつないでいる。
それは、当時幼かったポエットが危ない目に合わないようにという、彼なりの配慮だった。

それを今も続けているのは、ただ単に、昔からの癖が抜けていないだけなのか。
それとも。

「ポエット。渡したいもの、とは何だ?」

空高くまで昇ったところで、ユーリが尋ねた。

ポエットは、懐からあの可愛らしい袋を取り出しながら言った。

「あのね、ママに教わって、クッキー作ったの。 ユーリに、食べて欲しくて」

ユーリは、その袋をそっと受け取る。

彼女から手作りのお菓子をもらうのは、初めてだ。

「ありがとう。……食べてみても、いいか?」

「うん! 」

袋を開けて中身を取り出してみると、クッキーはクローバーの形をしていた。
洋菓子特有の甘い香りが、あたりに漂う。

さくっ、と音を立てて、噛みしめた。

「……どうかな?」

不安そうな顔で、ポエットが聞いてくる。

「……美味しい。とても」

そう答えると、彼女の顔いっぱいに、大輪の花が咲いた。

「本当⁉ 良かった!」

そう言って笑うポエットは、本当に美しくて。
自分一人だけがその笑顔を独占できることを、ユーリは誇らしく思った。

「できることなら毎日、お前が作るクッキーを食べたいものだな」

「ま、毎日⁉ ……は無理だけど、ときどき作ってあげ……ぇえ⁉」

一瞬、素直に彼の言葉を受け止めかけたポエットだったが、その奥に隠された恋文に気づけないほど、彼女は子供ではない。

少女の顔が、とたんに紅く染まっていく。

ぎこちない動きで、彼女がユーリの方に顔を向けると、彼の方は何ら変わりもなく、涼やかな表情をしている。

ポエットは、やっとのことで口を開き、震える声で言った。

「……ポエット、いつか立派な天使になるから。そうしたら」

クッキーでもなんでも、毎日作ってあげるね。

その言葉を聞くとユーリは、普段あまり見せることのない柔らかな笑みを浮かべた。
そして、ポエットの頭を優しく撫でた。

「さて……今日は、もう少しだけ高く飛んでみようか」

そう言うと、ユーリはいつものように少女の手を握る。

「うんっ!」

ポエットは宝石のように輝く笑顔を浮かべると、いつもより少しだけ強く、その手を握り返した。







送信中です

×

※コメントは最大3000文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!