みぃー……。
「……ん?」
ゲゼルシャフト号内部、客室エリアへと向かう廊下。
ふと聞こえた知らぬ声に、零児は思わず振り返った。
「……どうした?零児」
「いや、今……猫の鳴き声が聞こえなかったか?」
隣を歩いていた小牟はそうかの?ときょろきょろしている。
気のせいか、と零児が再び歩き出そうとすると、目の前に白い影が踊る。
「……っ!?」
それは勢いよく零児の胸元に飛び込んできた。
とっさに避けようとした零児だが、油断していて反応が遅れてしまう。
結果、中途半端にバランスを崩してしまい、零児は尻もちをついた。
「……ほんとだ、猫じゃのう」
臀部への衝撃に次いで感じたのは、足の付け根に感じる重量感。
零児がそちらへ目を向けると、1匹の猫が座り込んでいた。
「さっきの鳴き声は、こいつか」
「でも、なんでこんなところに猫がおるんじゃ?」
その猫は真っ白で尻尾が長く、碧色とも翠色ともつかない不思議な瞳をもっている。
頭のてっぺんから、青く長い毛が一房、ちょろんと下りていた。
「なんか面白い見た目じゃな、こやつ」
「あ、あぁ……そうだな」
零児は猫を抱き抱えて立ち上がると、そのまま歩き出す。
「おそらく、どこかから忍び込んだんだろう。ここは物質界だからな、猫くらいいても不思議じゃないさ」
「れ、零児?どうするんじゃその猫……」
「次の目的地に着いたら逃す。だからそれまでは俺の部屋で預かる。万が一、船内を荒らしたら大変だからな」
小牟はふぅん、と返事をして、小走りで零児に追いつく。
やがて客室エリアに到着し、自室へと歩き出した零児。
しかし、小牟は女性陣の部屋がある方向には行かず、その広い背中を追いかける。
「……おい、なんでついてくるんだ」
「だって面白そうじゃろ。猫なんぞ、しばらく見ておらんかったし」
「フェリシアがいるだろ」
「ありゃキャットウーマンじゃ。まぁ猫っちゃ猫じゃが、ほとんど人間の姿をしておるし」
小牟は、一度言い出すとなかなか自分の意見を曲げない。
幼い頃からそれをよく知っている零児は、反論するのを諦めた。
トロンの計らいにより、ゲゼルシャフト号クルー全員に割り当てられた個室。
零児は自分が使っている部屋の扉を開くと、寝台の上に猫を下ろした。
「大人しいのう、こやつ。抱っこされても、全然暴れなかったし」
小牟の言葉に、そういえば、と零児は考え込む。
あれはたしか、小学校に入ったばかりの頃か。
帰り道で見つけた猫がじゃれついてきたため、零児は友人とともにその猫を抱き上げようとした。
みゃーーーーーー!
しかし、その猫は叫び声を上げ、鋭い爪で零児の手を引っ掻いた。
零児が驚いて手を離すと、猫は目にもとまらぬ速さで逃げていった。
そんな記憶がふと蘇ってきて、零児は目の前の白猫に目を向ける。
白猫は前足を舐め、毛繕いをしていた。
__もしかしたら、人間慣れしている猫なのかもしれないな。
そう納得する零児の横で、小牟はその小さな手を猫へと伸ばす。
「わ〜、やわらかい……」
華奢な手は猫の後頭部から背中にかけて往復する。
猫は嫌がる素振りを見せず、大人しく小牟の手を受け入れていた。
「零児も触ってみんか?ふわっふわじゃぞ」
そう言われると、たしかに触ってみたくなる。
零児は猫の顎下に手を伸ばすと、指先を立てるようにして撫でた。
白い毛はやわらかく、艶があって触り心地が良い。
指先にはその触り心地とともに、仄かな熱が伝わる。
__なるほど。これはたしかに、「ふわっふわ」だな。
猫は気持ちよさそうに目を細め、ごろごろと喉を鳴らした。
零児がその手を止めると、もっともっととねだるように、零児の手に顔を擦り付けてくる。
その様子に、零児は思わず口元を綻ばせた。
動物は嫌いではないし、むしろこういう小動物は可愛らしいと思う。
小牟とともに寝台に腰かけ、夢中で撫でていると、ふいに猫が身じろぎをする。
そして前足を零児の太ももにかけたかと思うと、ひょいっと身体を浮かせ、零児の膝の上におさまった。
「おお!ずいぶんと好かれたようじゃな、零児」
「……どうやら、そのようだな」
猫は前足を零児の胸元に伸ばし、にゃー、と鳴く。
ベスト越しではあるが、肉球のぷにぷにとした感触をわずかに感じ、零児はふっ、と笑う。
__零児がこんなふうに笑うところ、久しぶりに見たのう。
少しずつ高まっていく鼓動に気づかないまま、小牟は零児を見つめた。
先ほどまでは猫を間に挟んでいたため、零児と小牟の間には微妙な距離が空いている。
それを埋めるべく小牟は腰を浮かせ、太ももが触れ合う距離まで近づいた。
「どうした?」
「……もっと近くで見たいのじゃ。すごく、可愛いからの」
そうか、と零児は視線を猫に戻し、再び猫の後頭部を撫ではじめる。
自分とは違う、ごつごつとした大きな手。
その手で、自分の頭を優しく撫でられたら、どんなに心地良いだろうか。
そんなことを考えていると、視界の端に違和感を覚えた。
「……なんだ?」
猫が、発光しているのだ。
「ど、どういうことじゃ……?」
零児も撫でる手を止め、光に包まれていく猫の様子を見つめている。
光はだんだんと強くなり、それは人の身長ほどの大きさに膨れ上がる。
あまりの眩しさに、零児も小牟も、その瞼をきつく閉じた。
「……うっ!?」
瞬間、零児は太ももに重さを感じる。
目を開けると、飛び込んできたのは鮮やかな青。
零児よりも少し黒い肌は白い体毛でところどころが隠れ、形の良い臀部からは長い尻尾が伸びる。
零児の胸元にそっと置かれた手は、形こそ猫のそれであるものの、彼の手よりもはるかに大きかった。
「フェリシア!?」
零児の膝にかろうじておさまっていたのは、彼らとともに戦う仲間であるフェリシアだったのだ。
彼女も自分の置かれた状況を理解できていないようだったが、エメラルドの瞳に零児の姿を捉えると、牙を見せて笑った。
「あはっ、やったぁ!やっと戻れたー!」
「……え?」
「も、戻れたって……それじゃあさっきの白猫は、ぬしだったっちゅうわけか!?」
目を白黒させている小牟に、フェリシアはにっこりと笑いながら言う。
「そうそう!気まぐれで猫になったんだけど、久しぶりすぎてうまく戻れなくなっちゃって」
「……フェリシア」
「なぁに?」
「悪いが、膝から下りてくれないか」
「あっ、ごめん。重かったよね」
フェリシアはするりと身をよじらせ、零児の膝から下りる。
そして四つん這いになり、臀部を突き上げて大きく伸びをした。
「たくさん撫でてくれてありがと!」
「あぁ、いや……」
知らなかったとはいえ、仲間の女性を抱き上げたり、あちこちを撫でたりしてしまったことへの罪悪感が零児を襲う。
だがフェリシアはそれを気にする様子はなく、目尻の上がった目をきゅっ、と細めた。
「レイジとシャオムゥの手、すごく気持ちよかったよ!」
まさか自分の撫で方の感想を言われるとは想像もしていなかったため、零児も小牟も少し照れてしまう。
ちょうどそのとき、部屋のスピーカーからコブンの声が響いた。
「そろそろ目的地に到着です〜。皆さん、準備をお願いします〜」
「……それじゃあ、アタシはそろそろ戻るね」
「わしもじゃ。フェリシア、部屋まで送っていくぞ」
「ほんと?ありがとう!」
部屋を出ていく間際、フェリシアは零児に向かって大きく手を振った。
さすがに手を振り返すことはしなかったが、先ほどまでの甘えん坊な猫の姿がふと重なってしまい、零児は口元を緩ませる。
何はともあれ、こうしてちょっとしたハプニングは幕を閉じた。
「森羅の寮って、ペット飼えるんかのう……」
それ以来、小牟がそう呟くようになったのは、また別のお話。
Pixivからの移転作品。初出は2020年10月3日でした。
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