【ナムカプ】その感情に名前をつけるならば

「鳳鈴とブルースの関係って、一っっっ向に進展しないよね」

レイレイがぽつりと発した言葉に、鳳鈴は箸を持つ手を止めた。

「……いきなり何を言い出すの、レイレイ」

「だって、ブルースって絶対鳳鈴のこと好きでしょ。レジーナもそう思わない?」

レイレイが隣で大人しく食事をとっていたレジーナに問いかける。
ここ最近、いつもレジーナと共に行動している冬瓜は、今はいないようだった。

「ふふっ……まぁ、そうね」

「レジーナまで……!あのね、私たちはただ仕事上付き合ってるだけで……。
 それに、今ブルースはレジーナと組んでるし」

「アイヤー。鳳鈴、妬いてるワケ?」

「なんでそうなるのよ」

レイレイたちと出会う少し前、スペンサーレイン号ジャック事件にて、ブルースと行動を共にした鳳鈴。

はじめは少々うっとうしく思っていたが、行動を共にするうちに少しずつ別の感情が芽生えていった。
だが、お互い工作員の身。恋だ愛だにうつつを抜かしている場合ではないのだ。

そのときこそ彼と唇を交わしたが、鳳鈴から顔を寄せたのは、ある意味この戦場での関係にけじめをつけるためでもあった。
もう、二度と会うことはないと思っていたから。

まさか一年もしないうちに再会するとは思わなかったが、生憎今回はそれぞれ別の任務に就いている。
お互い、日本のエージェントである有栖零児と共闘しているものの、ブルースとは付かず離れずの微妙な距離感を保っていた。

「ねぇ鳳鈴、レイレイ。このあと私の部屋に来ない?もう少し話しましょうよ」

「ほんとに!?行く行く!」

普段あまり話さないレジーナからの誘いに、レイレイは嬉しそうだ。
鳳鈴も来るよね、と青い頬を染めて誘ってくる彼女を突き放すことはできず、鳳鈴はそうね、と答えた。

「お邪魔しまーす!」

「適当に座って。今お茶を入れるから」

そう言ってレジーナは、各部屋に備え付けられている湯沸かし器に水を入れ、湯を沸かし始める。

ゲゼルシャフト号の客室はどれも似たような作りだが、何日も滞在していると、どうしてもその人独自の生活感が出てくる。
部屋の隅に置かれたダンベルと武器類、それ以外は綺麗に片付いている部屋に、レイレイは興味津々のようだ。

「さ、おまたせ。アールグレイでいいかしら?」

「ええ、ありがとう」

鳳鈴も、国にいた頃は工作員の仕事と訓練に明け暮れる日々。
同期も上司も男性ばかりのため、こんなふうに女性同士で集まって話をするのが、どこか新鮮に感じられた。

「……で、先程の話だけど」

紅茶をすすりながら、レジーナが話を切り出す。

「レイレイ、彼氏持ちとして恋愛のアドバイスをしてあげなさいよ」

「へ? 彼氏?」

「ほら、いるじゃない。あなたと同じ肌の色をして、ギターを持った……」

「もしかしてザベルのことぉ!?
 違うよ、彼氏なんかじゃなくて……あれはもはやただのストーカーなワケ」

「あら、そうなの?」

「もう〜、レジーナ!からかってるでしょ!」

鳳鈴は時々、敵と交戦しているときに出てくるゾンビを思い出し、くすりと笑った。
鳳鈴たちがスペンサーレイン号で闘ったゾンビとは違い、自我を持ち生き生きとした男だ。
レイレイを見つけた瞬間に「マイスウィート」と叫び、目をハートの形にする彼は、敵対する存在ながら見ていてなかなか面白いものがある。

「あっ、鳳鈴!
 笑ったアルな? 笑ったアルな!?」

レイレイは声を荒げ怒っているが、よく見ると顔がほんの少し赤い。
もしかして満更でもないのかしら、と独りごちて、鳳鈴の口の端は上がったままだった。

「とにかく!私の話じゃなくて鳳鈴の話でしょ!」

「それもそうね。
 ……ところで鳳鈴。あなたがよく私たちに視線を送っているのは気付いてるわよ?」

どきり、と鳳鈴の胸が大きく脈を打った。
心当たりがあるだけにごまかせない。

「……わかったわ。それは確かに認める」

鳳鈴がそう言うと、レイレイが身を乗り出してきた。

「そうなの!? やっぱり!」

「でもそれは、あの冬瓜がレジーナの足を引っ張ってないかなって……」

そこまで言うと、鳳鈴は口を閉じてしまう。

スパイとして仕事をする中で、自分の女という性別を活かしたこともあった。
男は単純だ。そのしなやかな体躯が映えるタイトな衣装を身に纏い、耳元で甘い言葉を囁けば、いとも簡単に奴らは堕ちた。
酒が入っていれば、尚更だ。
情報を聞き出すために一夜を共にしたこともあったし、ターゲットの恋人として接近したこともある。

だが、今自分がブルースに抱いている感情が何なのか、鳳鈴にはよくわからなかった。
数多くの男性を掌の上で転がしてきた彼女が、だ。
ブルースから誘われたときはとても嬉しかったし、このまま彼とアメリカで生きていくのもいいかもしれないと思った。

だがそれは、互いのほんの一時の気の迷いにしか過ぎないと思っていた。
窮地を共に乗り越えたふたりが、恋愛感情によく似たものを抱くことがある。所謂、吊り橋効果というやつだ。

だから鳳鈴は彼の誘いを断ったし、自分から唇を重ねることでその関係に終わりを告げた。

ブルースとの件もその類だと思っていたし、彼がアメリカに誘ってくれたのもきっとそうだ。
少なくとも恋人を演じている男性と肌を合わせることはあっても、楽しんでいるフリをしながら常に無心であったし、自分が男に惚れるということはなかった。

仕事で疑似恋愛をすることはあっても、真剣に恋愛をしたことはなかったのである。

「……おーい、鳳鈴?」

「……え?」

レイレイの青い手が、目の前でひらひらと踊る。

「急に黙っちゃうんだもん。どうしたワケ?」

「……別に、なんでもないわよ」

スパイの身として、自分の余計な情報は漏らすわけにはいかない。
今は味方として闘っているレイレイもレジーナも、次に会うときは敵どうしかもしれないのだ。

「それじゃあ鳳鈴、私からひとつ言わせてもらうわね?
 あなたはブルースのことを『冬瓜』って呼んでるけど、私はそうは思わないわ。
 武器の扱いにも慣れているし、戦闘慣れしている。
 正直、パートナーとしては彼以上の存在はないわね」

「……そう」

「だけどビジネスのパートナーとしてではなく、プライベートでもなかなかいい付き合いができそうよ、彼とは。
 この仕事が終わったら、ちょっと誘ってみようかしら」

そう言って、再び紅茶をすするレジーナ。

__まさか、レジーナがそんなふうに思っていたなんて。

どくん、と一度高鳴る胸に気づかないフリをしながら、鳳鈴は冷静を装い続ける。

「……いいんじゃない? 私はお似合いだと思うけれど。
 あなたはブルースと同じ国の出身だし、会おうと思えばいつでも会えるでしょ」

いつかこの闘いが終わってそれぞれの国へ帰るとき、ブルースとレジーナはプライベートで会うことも増えるのだろうか。
性格も合いそうだし、なにより現在パートナーとして闘っているのだ。
深い関係になるまでに、時間はかからないだろう。

ふたりが肌を寄せ合う場面を想像し、鳳鈴の眉間に皺が刻まれた。

「冗談よ。なに本気にしてるの」

レジーナはふふっ、と笑い、鳳鈴をじっと見つめた。

「__何?」

「今の自分の気持ち、よく覚えておくことね。それが答えよ」

「……っ!」

何も言えなくなってしまう鳳鈴を横目に、レジーナはレイレイに紅茶のおかわりを注ぐ。
鳳鈴のその様子を見たレイレイが、にやにやと笑いながら言葉を紡いだ。

「鳳鈴〜、ようやく気付いたアルな?よかったね〜」

「レイレイ! からかわないでちょうだい」

「どうやら、問題は無事解決したようね。
 そろそろ遅いし、今日はもうお開きにしましょうか」

一時的に乙女の花園と化したレジーナの部屋を出ると、鳳鈴はレイレイの部屋へと彼女を送る。

晩安、と笑顔で告げるレイレイに鳳鈴も晩安、と返し、ひとりになった彼女は自室へと戻っていく。

自室でシャワーを浴びながら、鳳鈴はレジーナの言葉を思い出していた。

__今の自分の気持ち、よく覚えておくことね。それが答えよ。

あのとき、自分は何を思っただろうか。

__ほんの一瞬でも、取られたくないと思ってしまった。ブルースを……。

シャワーを目の前にある鏡にかけ、くもりをとる。
鏡を覗くと、そこには生まれたままの自分が映っていた。

いつも入れているピンクのアイシャドウとリップはすっかり落ちており、いつもはすっきりとまとめられた髪も濡れ、首筋に纏わりついている。

__スパイとしての私じゃなく、本当の私を……ブルースは、受け止めてくれるのかしら。

浴室を出て濡れた髪と体を拭きながら、ふとそんなことを思う。

__幼い頃から訓練を受け、仕事をすることしか知らなかった私の心も、身体も……いつかはすべて、ブルースに……。

生まれて初めて、ひとりの男性が心の中を支配している。
未だ慣れない感覚に戸惑いながらも、鳳鈴はこの気持ちに気付くきっかけをくれたレイレイに感謝していた。

天真爛漫で人を疑うことを知らないようなレイレイがあの場にいなければ、鳳鈴はきっとここまで自分の胸の内を話すことはなかっただろう。

__謝謝、泪泪。でも、こんなんじゃスパイ失格ね。

心の中で笑いながら、鳳鈴は寝台に潜り込んだ。







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