刹那と未来が、デビルチルドレンとして魔界を冒険してから、三年が過ぎた。
デビチルたちが中学三年生の夏休みを目前にした頃…刹那は突然、未来と広海、そしてクールとベールをリビングに呼び出した。
何事かと不安そうな表情で自分を見つめてくる四対の目に、彼はいつに無く真剣な表情で言葉を紡いだ。
「俺、この家を出ようと思うんだ」
その瞬間、表情を強ばらせた一同に、彼はばつが悪そうに告げた。
再び両親とともに暮らせることになったため、この街を離れることになった…と。
痛いほどの静寂が、リビングを支配する。
そんな中、最初に口を開いたのは、広海だった。
「……そうか。いつかはこんな日が来るじゃろうと、思っておった。いつ頃、発つんじゃ?」
「中学を卒業する頃、かな。もう志望校は決めてあるんだ。向こうの街の高校を、受験するつもりだ」
少しだけ寂しそうに話す刹那の声は、もはや向かい合わせに座る未来の耳には届いていなかった。
__刹那が、この家を出ていく……もう、会えなくなるってこと?
刹那が居候するようになったあの日から、彼がいるのが当たり前になっていた。
共にデビルチルドレンとして戦い、時には喧嘩して、たくさんの苦難を、刹那と共に乗り越えてきた。
その中で、彼の無邪気さや勇敢さ…そして優しさに触れるうちに、いつの間にか未来は、彼に対して特別な感情を抱くようになった。
それは、尊敬や憧れといったものではなく、年頃の少女が異性に対して抱くのと同じもの。
そんな思いを抱きながら、少女はこの三年間を、刹那と共に過ごしてきた。
いつか、彼と想いを通じ合わせる日を夢に見ながら。
別れの日がくるなんて、思いもせずに。
その夜、未来は自室に籠もり、声を押し殺して泣いた。
翌日、目を腫らした未来の姿に、広海と刹那は驚かされたものである。
感動する本を読んでて、そのまま寝ちゃったのよ、と未来は必死で誤魔化していたが。
その日、未来が作った朝食は、少しだけ涙の味がして、刹那の胸を締めつけたのだった。
そして、あっという間に半年は過ぎていった。
桜の花がまばらに顔を見せる頃、青く澄んだ空に、生徒たちの美しい歌声がこだまする。
力強い男声、透き通るような女声……。
しかし、その中には涙声も混ざっていた。
互いの、そして、恩師との、母校との別れを惜しむように。
そう…今日は、刹那や未来が三年間通った中学校の、卒業式。
それぞれが自分の道へと歩き出す、旅立ちの日。
「ど、どうしたんじゃ刹那!その目は!」
「う、うるせぇ。ゴミが目に入ったんだよ!」
刹那たちが帰宅するなり、広海の素っ頓狂な声が響き渡った。
孫の卒業式を見届け、家でふたりの帰りを待っていた広海が目にしたのは、目を赤く腫れ上がらせた刹那の姿だったのである。
普段なら、長い睫毛をたたえ、二重になったその美しい目も、今は見る影もなく酷い有様だ。
「もう、べつに誤魔化さなくてもいいのに……。
あのねおじいちゃん、刹那ったら、教室に帰ってきた途端に大泣きしちゃったのよ。
そうしたら、クラスの子もそれにつられて次々に泣き出しちゃって、大変だったわ」
そう言って彼をからかう未来の目もかすかに赤く、頬には涙の筋が残っていた。
「まあ、卒業式はそんなものじゃろうなあ。
……特に、刹那にとっては」
少年は、憂いを含んだ面持ちでうつむく。
「……最後、じゃもんな」
__『最後』。
その言葉は、まるで毒を持った棘のように、刹那の傍に立っていた未来の胸に突き刺さった。
「ベール、お皿並べてきてくれる? あーっ! 刹那、つまみ食いしないでっ!」
その夜、要家のリビングには豪華な料理が並べられていた。
今日は、刹那のお別れ会。
彼は明日、この家を発つことになっており、今日が未来たちと過ごす最後の夜なのだ。
「未来ー、まだかよ? はやく食おうぜー」
「あと少しだから待ってて!」
食後のデザート、可愛らしい型に入ったスフレの生地をオーブンに入れながら、未来が言う。
「これでよし…っと」
エプロンを外しながら、未来はみんなの待つリビングへ向かった。
彼女が席についた瞬間、待ってましたとばかりに、刹那は料理に箸をつけ…ようとして、改まった表情で口を開いた。
「未来、じいさん、クールとベールも。今までありがとう。世話になりました」
頭を下げる少年に、広海は笑って答えた。
「こちらこそ、この家に来てくれてありがとうな、刹那。お前さんのおかげで、毎日が賑やかでたのしかったぞい」
しんみりとした雰囲気を和ませようとしたのか、クールが刹那を突っぱねる。
「ふん、やっと静かになるな。お前がいなくてせいせいするよ」
「なんだとー!それはこっちのセリフだ!」
いつものように、口喧嘩を始めるふたり。
だが、その言葉の本当の意味は、互いの心にしっかりと刻み込まれたようだった。
クールは、刹那が家を出た後、ベールと共に要家で暮らすつもりでいる。
刹那には、一緒に来ないかと誘われたが、事情を知らない刹那の両親のことを考え、誘いを断ったのだ。
「これで、お前と毎日おかずを取り合いしなくて済むんだなー! 今まで取られた分もいっぱい食ってやる!」
「ふーん、こっちには未来がいるんだ、美味しい手料理も美味しいお菓子も、お前の分まで食ってやるんだからな」
「俺の母さんの方が料理は上手いね! そのうえ家事もできるし優しいし、未来とは大違いだ!」
「ちょっと! なんで私が出てくるのよ! 文句言うなら料理下げるわよ!」
こうして賑やかに騒いでいられるのも、今日が最後。
__ずっと、この時間が続けばいいのに……。
叶うはずのない願いを、未来は心の中で何度も繰り返した。
満月が天空の頂を彩る頃、刹那は静まり返った自分の部屋で荷造りをしていた。
かつて、漫画本やCD、サッカーボールなどが置かれていた部屋は、すっかり殺風景になってしまった。
改めて部屋を見回してみると、それなりに広かったことを実感する。
最後の荷物を段ボール箱に詰めたとき、遠慮がちに扉を叩く音がした。
「……刹那、起きてる?」
声の主が突然訪ねてきたことに驚きながらも、刹那は扉を開ける。
扉の向こうに立っていた未来は、寝間着に身を包み、いつも髪留めで止めている前髪も下ろしていた。
「……どうしたんだよ、こんな夜中に」
「ごめん。……どうしても、伝えたいことがあったから」
先ほどのお別れ会の片付けで疲れているのか、それとも別の理由か、未来の声はいつもより少し高く、弱々しい。
「まあ……こんなとこで立ち話すんのもアレだろ、入れよ」
「……ありがと」
考えてみれば彼の部屋に入ることなど久しぶりで、未来は緊張を隠せない。
小学生の頃は、よく未来が寝坊助な刹那を起こしに行ったものだが、中学生になってからはそれもなくなった。
年頃を迎えた少年少女は、いつしか互いの部屋に入ることを、なんとなく避けていた。
「……随分、すっきりしたわね」
「まあな」
「………」
「………」
会話が、続かない。
「……ベッド」
「え?」
「床、冷えるだろ。ベッド座れよ」
「……うん」
未来は、刹那に言われるまま、ふかふかのベッドに腰を下ろす。
少し遅れて、刹那も彼女の隣に腰を下ろした。
「……刹那」
名を呼ぶと、彼はゆっくりとこちらを振り返り、見つめてくる。
未来は、決めていた。
もう会えなくなってしまう前に、ずっと胸に秘めていた彼への想いを伝えようと。
__言わなきゃ。伝えなきゃ。
喉のすぐそこまで、言葉は出ているのに。
唇は、言うことを聞いてくれない。
心臓が、どくどくと早鐘を打つのが、自分でもわかる。
「……私っ」
__私、刹那のこと……
大丈夫。
今なら言える__
「刹那のことが」
想いを口にしようとした瞬間、彼女の琥珀の瞳から、大粒の涙が零れた。
「……未来」
「……っは、離れたくな……刹那がいなくなるなんて、嫌だよ… っ!」
絞り出すように紡がれたのは、もうひとつの本音。
刹那と、離れたくない。
ずっと一緒にいたい。
一度溢れた想いは、涙の粒となって頬を濡らす。
「未来……っ!」
突如として全身に感じる、彼の匂いと温もり。
彼に抱きしめられているのだと理解するのに、そう時間はかからなかった。
「……せ」
「俺だって…未来と離れたくなんかねえよ……!」
掠れ、震えた声が耳元で聞こえる。
刹那の顔がこすり付けられた未来の肩口は、じわりと濡れていく。
彼の突然の行動に、未来は驚きを隠せない。
たが、未来の細い身体に回された彼の腕が、彼女の想いが一方通行でないことを物語っていた。
刹那は未来から身体を話すと、濡れた瞳で未来を見つめた。
「……俺、未来のことが好きだ。ずっとずっと、好きだった」
まっすぐに告げられた、刹那の想い。
未来もまた、濡れた瞳で刹那を見つめ返す。
「私も好き……大好きよ、刹那」
つい先ほどまで、あれだけ伝えるのに苦労していたというのに。
今は驚くほど、簡単に伝えられた。
想いを伝えあったふたりは、しばし見つめ合い、それから照れくさそうに微笑んだ。
刹那は未来の頬に、そっと自分の左手を滑らせる。
頬に少年の温もりを感じながら、少女は胸を高鳴らせた。
ずっと夢に見ていた、大好きな人と想いを通わせる瞬間。
刹那が少しだけ顔を近づけると、未来はそれに応じるように、ゆっくりと瞳を閉じた。
もう何度、互いに熱を与え合ったかわからなくなった頃。
刹那は、自分の腕の中にいる未来の耳元に唇を寄せ、囁いた。
「……未来。今日、俺の部屋で一緒に寝ないか?」
「……やらしいこと、しないでよ」
「するわけねえだろ」
言葉とは裏腹に、未来の顔は、どこか嬉しそうだ。
ふたりで布団に横になり、毛布と掛け布団をかぶると、刹那の匂いが未来の鼻をくすぐった。
「……未来。俺、高校生になったらさ」
「うん」
「携帯、買ってもらう。母さんに頼んで」
「……私も、そうする。電話、ちょうだいね」
「ああ」
いつの間にか時計は、午前一時を指している。
刹那は、そっと部屋の明かりを消した。
「さ、もう寝ようぜ。明日、はやく起きなきゃいけないんだし」
「……うん」
__まだ、寝たくない。
もっと、刹那と触れ合っていたい……
言い出せない我が侭を、自分の手を彼の手に絡ませることで、遠回しに伝えた。
すると刹那は、空いている方の手で未来の身体を抱き寄せる。
触れるだけの口づけを交わすと、刹那はそのまま、目を閉じた。
おやすみ、という言葉と共に。
「……ばか」
未来は、刹那の胸元に、そっと顔を押し当てる。
規則的に聞こえる鼓動は少し早かったが、やがてゆっくりになる。
しばらくすると、彼の寝息が聞こえてきた。
「……ばか」
先ほどと同じ言葉を口にしながら、未来は刹那の大きな背中に腕を回す。
夜が明けたら、この温もりを手離さなければならないから。
……だから、今だけは。
彼を、感じていたい。
「……刹那」
もう一度、愛おしそうに名前を呼んで、未来は目を閉じたのだった。
Pixivからの移転作品。初出は2014年1月3日でした。
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